かつみおじちゃんはブログを書くことにしたらしい。

とりあえず始めてみる!がコンセプトのブログです。

話題の総務省文書を読みました。

こんばんは。

 

何やら世間では、総務省文書とやらで賑わっているらしく、私も遅ればせながらその書面をやっと読みました。相変わらず私、流行りに疎い。

 

感想としては・・・なんだよ。ただの検閲の話かよ。

 

私はかねてから、この国の民主主義は「フリ」、または「ごっこ」だと考えていまして、実質的には社会主義国家だと考えています。それもとても巧妙に、この国の文化や国民性、民族的思想なども加味して組み上げてきた、上級国民が愚民を見えない力によって効率よく支配するためのシステムとしての民主主義。

 

「平等」とか「不公平は悪だ」なんて、子供の頃から吹き込まれてきましたが、そもそも論、生れ落ちた段階から不公平は始まっているのだから、今更何を血迷ったことを言っているのだろうと思ってしまうんですよね。

 

もう少し言うと、放送法の大原則として、放送事業者として免許を得るには国が認めなければならないという原則がありましてですね・・・この時点で、国家権力の監視体制としてのマスメディアの役割は死んでしまっていると誰もが気付くだろうと思うのです。

 

国にとって都合の悪いことをテレビで言ってしまうと圧力がかかるし、テレビと新聞は運営元は同じだし、新聞はただのゴミだし、この時点で「あっ、やべえ感じのヤツやな」って、皆思ってるでしょう。

 

絶対禁止と言われる検閲だって、大っぴらではなく、テレビ局や新聞社による国への忖度で行われるし、皆そのことを知っているし、今更ながら騒いでるのは他のもっと都合の悪い何かから目を反らせたいだけなのではないかと、勘ぐってしまうのは私だけではないはずです。

 

最後に私が結構気に入っている、この判例の一文を添付しておきます。

 

最大判昭59.12.12

検閲とは、行政権が主体となって思想内容等の表現物を対象とし、表現物の一部又は全部の発表を禁止する目的で、対象とされる表現物につき、網羅的一般的に発表前にその内容を審査した上で、不適当と認められるものの発表を禁止することをいう。

 

 

行政書士試験では、こういった判例文の虫食い問題なんかが出るので、かなりの数の判例を読み込むことになります。それらは知識が増えるだけでなく、考え方のベースになるものが増えるので、ニュースなんかも今までよりちょっと面白くなったりします。判例の一文を読まれて、へぇーそうなんやー!って思われれた方は、この試験にちょっとでも興味を持って頂けたら嬉しいです。

 

今日は以上です。